勝道上人一行は、華厳の滝から流れる大谷川に足を止められた。護摩をたき神仏の加護を求めたところ、対岸に赤と黒の衣をまとい、首に髑髏をかけた恐ろしい顔の深沙大王が現れた。(深沙大王とは、玄弉三蔵が天竺へ行く途中、砂の中から現れ、玄奘を守護したと伝えられる)
『助けてつかわそう』と赤と青二匹の蛇を放すと、蛇は大谷川の両岸にからみあって虹のように美しい橋となりました。勝道上人一行は蛇のウロコが滑って渡れませんでしたが、そのうちに蛇の背に山菅がはえて小道ができました。恐れも忘れこの橋を渡り、振り返って見ると蛇は深沙大王の手に戻り空高く消えていきました。
その後その場所に丸木橋をかけ『山菅の蛇橋』と呼ぶようになりました。勝道上人は、お礼の意味をこめてのちに深沙大王のお堂を建ててお祀りしました。
お堂に扇の要をはずして願い事をすると願いが叶うといわれ、特に花柳界の信仰があつく、小雨の中、蛇の目傘をさして朱塗りの神橋の近くを歩く芸妓衆の姿は、とても絵になる風景だったそうです。